山も川も行こう


山を歩いたりカヌーに乗ったりイカ釣ったりケンカしたり。そんな日々の日記です。写真は2月の網走湖の夕日です。(北海道MTBツーリングより)
by ika-maguro-sake
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<   2009年 06月 ( 8 )   > この月の画像一覧


入院生活八週目

安定した日々が一週間程続いた。
毎日のように医師が言うようになった。
「産みましょう」

けれど、2か月近くベットの上だけにいて「お腹に持たせる」ことだけを考えてきた私は、踏ん切りがつかない。「産むって何…?」
産むための気力はすでに使い果たしてしまっていた。

「退院できないなら外出でもしたい」「とにかく、ベッドを離れてリセットしたい」
そう言った私に、夫は大反対。
すでに、子宮口は開いている。点滴を抜いたらすぐに産まれるでしょうと医師も言う。
「ここまで来たのに、なんかあったらどないするんや!」
夫の言い分はモットモすぎるくらいモットモだった。

点滴を抜く前の数日間、個室に移動し家族で前夜祭?をした。久々に周りを気にせずワイワイと話し、笑い、息子とじゃれあい、リクエストしておいたお寿司をたらふく食べた。

そして
とうとう翌日の早朝、主治医も当直で万全の体制の中、点滴を抜き治療をやめた。
なんと、妊娠36週にもなっていた。出産予定日まで後1ヶ月あるが、私には夢のような週数だった。
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by ika-maguro-sake | 2009-06-22 12:15 | 妊娠奮闘記

入院生活七週目

「産みましょう」と言われても、BABYはまだ2000グラムに満たなかった。
「いいですね!?」と念を押す医師にすがった。
「もう1回だけ点滴をつないでほしい。それでも、陣痛が来たら産みます。」
これ以上は、何があっても受け入れるしかないと納得せざるを得なかった。

私は知っていた。
どんなにしんどくても、お腹にいてもらえるのは幸運だということを。
これが最後まで私を支えた。

早くに陣痛が来てしまい、週数が満たないうちに産まれたBABYを今まで見てきた。同室だったその人たちは、まだ入院している私のところへ面会に来て言った。
「小さな体に点滴や呼吸器を付けているのが痛々しい」
「我が子を抱けないのがもどかしい」
それを聞くたび、入院できている自分が幸せだと思った。
BABYがそんな思いをするくらいなら、私が頑張ればいい。

医師は「絶対にこれ以上は増やせない」と念を押し、私に点滴をつないだ。
「とことんまでやった」自分でそう思えた。
後はBabyに任せよう。ドーンと来い!だ。
そうすると、気持ちがフッと軽くなった。

半日後、なぜか陣痛が治まった。
私はおかしくてゲラゲラ笑った。
やはり、
心と体はつながっているのだ。
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by ika-maguro-sake | 2009-06-22 11:57 | 妊娠奮闘記

入院生活六週目

子宮収縮を抑える薬は、全身の筋力を落とした。
そのせいで、食事をするのもアゴがしんどく休みながら食べた。もちろん、歩いて数歩のトイレからベッドに戻ると倒れ込んだ姿勢から動けなかった。

治療しないといけないのは充分理解していた。
けれど、長引く入院、安定しない状態に一喜一憂する日々。
気持ちだけは元気でいなくちゃ!と、張り詰めていた糸は切れ始めた。
やり場のないもどかしさを振り払えず、自分自身がもどかさくてたまらない。
ひたすら、お腹を抱きしめた。それだけが今、私の存在価値だった。

「お風呂に入りたい」「車椅子で売店に行きたい」
これが1番したいことだった。一時でもベッドを離れて普通の生活を味わいたい。
でも、今の私には叶うはずもないささやかな夢物語…。

今の薬ではコントロールできず、新しい薬も併用して使いはじめた。
翌朝、体はコンクリートで固められ、口の中まで石を詰め込まれたようで身動きできなかった。
まぶたを開くこともできなかった。

これ以上薬は増やせない…母体が危険…医師の声が聞こえ、すぐに点滴が減量された。

そして、医師は私に向かって言った。
「治療の限界です」「産みましょう」
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by ika-maguro-sake | 2009-06-22 11:44 | 妊娠奮闘記

入院生活五週目

朝起きると、息ができなかった。
話す事ができない。
もちろん、起き上がることも。
点滴の副作用だった。

でも、息も絶え絶えに言った。
「私は大丈夫です。赤ちゃんにお腹にいてほしい」
それが、私の全ての願いだった。

息苦しさにあえぎながら、週が明けた。
数日振りに私を見た主治医は驚き、言った。「これはいけない」
私は診察のために上半身を起こしただけで呼吸困難になりショックを起こした。薄れる意識の遠くで、医師が呼ぶ声が聞こえている。でも、返事ができない・・・体が闇の中に沈んでいく・・・

点滴の量がグッと減った。
確かに体は楽になった。
しかし
また、陣痛が起こった。
正に副作用と陣痛とのかけひきの日々。
「いつ産まれてしまうのか・・・」不安に押しつぶされそうな日々が始まった。

夜中、「ギャー」とか「キャー」とかという、自分の叫び声で目が覚めた。
言葉に出せない、心からの悲鳴だった。
同室の人たちも皆、同じように耐えていた。朝になり誤ると、皆笑っていてくれた。
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by ika-maguro-sake | 2009-06-22 11:33 | 妊娠奮闘記

入院生活四週目

妊娠32週を目前にしたある日の朝、医師より退院の話があった。
「無理すれば退院できないこともない」「ただし、破水などリスクは充分に考え得る」

息子のことを考えると今すぐにでも、退院したい。側にいてやりたい。
私自身も夜も眠れないし、贅沢な話だが病院食にも飽き飽きしていた。動けない身では、お茶さえも朝夕2回ポットに入れてもらうだけ。制約された日々。
無理と言われるなら仕方がないが、退院の可能性があるならば帰ってもいいんじゃないか。

でも、もし・・・
命綱のような点滴を抜いて、BABYが産まれてしまったら・・・。まだようやく1500グラムを超えたばかりだ。まだ自力での呼吸は無理だろう、もしも障害が残ったら・・・。
一生自分を責めても責めきれないだろう。
こんなに大事なことを1人で決めていいんだろうか。

色んな感情がグルグルと頭の中を回って悶々としていると、陣痛計がビュンビュン動き始めた。
つい先ほどまで落ち着いていたのに・・・なんと、陣痛だ・・・。

「とにかく産まれない様にどんどん点滴を上げて」医師の指示はそれに尽きた。
そして、点滴の量は何倍にもはね上がった。
退院どころの話ではない。私は点滴の副作用でもうろうとしながら思った。

やはり。
心と体は・・・つながっている。
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by ika-maguro-sake | 2009-06-22 11:01 | 妊娠奮闘記

入院生活三週目

グチる私をなだめ、夫との緩和剤になってくれたのは義母だった。
入院中、携帯電話が使えたのはかなり画期的だった。ベットから動けないのに、連絡さえもできなかった前回の入院に比べると、通話もOKだったのは助かった。
おかげで、ストレス発散に携帯でネットショッピングにはまってしまったけれど。ま、いいことにしよう。

ようやく息子を取り巻く環境も、平日は私の実家、休日には夫の実家というように、リズムよくスムーズに回り始めた。
全てを背負おうとしてしまった夫も、出来る事と出来ない事を自分なりに整理し始めたようだった。

母や義母のおかげで、一番の気がかりだった息子のことが安心できるようになり、私は治療に専念できて感謝せねばと思うようになっていた。
けれど、初めから入院中の治療方針は自分で決め、誰にも相談しなかった。いや、しないことに決めていた。できなかった、と言ってもいいかもしれない。
医師からの説明も1人で聞き、緊急帝王切開の書類にも自分でサインした。新生児医療センターの小児科医から未熟児についての説明も聞き、治療方針を自分で立てた。
家は家で、必死だ。私のことまで考える余裕はないだろう。
今思うと、私自身も1人で抱え込みすぎてしまったのかもしれない。けれど。。。やっぱり無理だっただろう。

そんな折り、息子が40度近い高熱を出した。
私が入院してから、喘息発作も頻回に出るようになっている。
私は2人の子どもの母だ。
側にいてやれたら・・・との思いが、退院の日が見えてくるにつれ強くなっていった。
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by ika-maguro-sake | 2009-06-22 10:16 | 妊娠奮闘記

入院生活二週目

夫がキレた。
キャパが一杯になった夫とは、共に解決策を探るどころではなかった。
夫だけではなく、息子をみている実家の両親の疲労もピークに達し、体制を立て直さないといけなくなっているのが分かった。

家のことを考えれば考えるほど私の気分はふさぎ、陣痛にならないまでも慢性的にお腹の張りが続くようになっていた。入院時よりも悪化しているのは確実だった。
痛みをウゥーンと我慢していると、泣こうと思わないのに痛みで目の端からツツツーと涙が伝る。
医師は、言った。
「ストレスで余計に悪くなっているかも知れない、急性期を脱したら最短で退院を考えましょう。」

長い長い1日。BABYが元気でいてくれることと、退院できる可能性だけが励みだった。
私が今すべきことは、『お腹の子どもを守ること』 それのみに全神経を集中することに決めた。
何事にも動揺しない・・・ひたすら前だけを向く・・・気分はまるで修行僧。。。

当然のように、用事は今まで以上に母に頼むようになった。
息子を連れて面会に来た母は、椅子に座ったままコクリ、コクリと居眠りをする。そんな母を見るのは初めてで申し訳なかった。
けれど母は、息子の世話を「楽しんでるで」と笑い、洗濯など私の用事も嫌な顔一つせずこなしてくれた。
しょっちゅうトンチンカンな事は起こったものの、これはまぁ母の場合。。。今始まったことではない。
今まで、こんなに素直に母にありがとうと思えたことがあっただろうか…
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by ika-maguro-sake | 2009-06-22 10:15 | 妊娠奮闘記

入院生活一週目

今は残りわずかとなったマタニティライフを満喫中。
終わったら振り返ることは絶対ないので、書いとこうかな…と思う。

4月のある日。病院受診したら切迫早産が悪化していて「強制入院はさせられないけど、帰すことはできない」と医師。半強制…?
一度帰宅する事も許されず、泣く泣く(本当に涙が出た)そのまま入院。
もちろん、24時間点滴でベット上安静。トイレだけは許されたのは救いだった。
といっても、トイレは歩いて数歩、ベットの隣。事実上、食事以外は24時間ベットに寝ることが治療だった。

1人目も切迫早産で入院したけど今回大きく違ったのが、二歳息子をどうするかということ。
当然、子どもを取り巻く実家の両親や夫も大わらわ。誰がどうすればよいか分からず、感情がぶつかったりお互いを気遣い過ぎたり。歯車が合わずグチが舞い込む日々。仲裁したつもりが余計にギクシャクさせてしまったり…。
ベットの上で動けない私はもどかしさで身悶えし、夜も昼も頭の中で家の心配ばかりグルグルと回った。

息子は息子で必死だった。
面会に来て「帰らない!」と病室を逃げ回り、「かあちゃーん」と泣き叫びながら抱えられて帰って行く。泣き声が廊下にこだまし、枕が涙でボタボタと濡れた。
肉体のつらさを感じない程、精神的につらく苦しい入院生活の始まりだった。
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by ika-maguro-sake | 2009-06-09 20:58 | 妊娠奮闘記